
ぎふ清流ハーフを2日後に控えた金曜日。
レース前って、何をやっても今さら感がつきまとう。
休めば不安になるし、走れば走ったで「このタイミングで何をしてるんだ」と思う。レース2日前に走り出すのは、まるで8月31日状態。夏休みの宿題を最後まで見て見ぬふりしてきた人間の動きである。
えっ、僕ですか? 割とあきらめがちでした(笑)
それでも、今日が最後の調整日。
ここで一発ムチを入れておくと、2日後に体調がスッと上がることは経験済み。
身体に「日曜日、動くぞ」と思い出させるような感じ。
その前にちゃんと走り込んでおけよ、という話もあるけれど、それはそれ。これはこれである。
ぎふ清流も島ぞうりでいく

さて、ぎふ清流も島ぞうりで走ることにした。
普段から履いて、普段から走って、足になじんできた履き物で本番に出る。今の僕には、それがいちばん自然だ。
島ぞうりで走り始めて2ヶ月半。
ランナーと名乗るには、まだまだ大した距離を踏んでいない。それでも、この2ヶ月半で、島ぞうりはずいぶん僕の足に近づいてきた。
最初は正直、面白半分だった。
実験みたいなものだ。「どうせフィットしないだろうし、試すだけ試してみるか」くらいの感じだった。
ところが、いつの間にか話が変わってきた。
今や、相棒というか、タイヤというか、足をぐるぐる回して前に進むための一部みたいな感覚がある。
21キロになると話が変わる

もちろん、島ぞうりでハーフを走る怖さはある。
普段のランなら1時間くらいで終わる。擦れがあっても、鼻緒が切れても、なんとか帰ってこられる。
ところが21キロは別だ。小さな違和感ほど、後半になると加速度的に大きくなる。
その意味で、ぶっつけ本番でいくのは、なかなかアホである。いや、普通はちゃんとランニングシューズで出るんだろうけど。
ここまで来ると、自分でも何の実験をしているのかわからない。
島ぞうりでハーフ。
冷静に考えると、だいぶ変だ。少なくとも、僕はまだ仲間を見たことがない。それでも、やっぱりこいつで行きたいと思った。
裏を見たら、走り方が出ていた

島ぞうりで走り始めてから、履き心地が安定してきたのはもちろん、耐久性にも驚かされている。
最初は、1ヶ月も持たずに鼻緒がちぎれるかもしれないと思っていた。
ところが、切れる気配はまったくない。鼻緒にはほぼダメージなし。伸びて履き味が変わることもない。思っていた以上に、こいつはタフだった。
そして今日、裏側を見た瞬間、目を疑った。

「おっ、削れてないじゃん!」って。
もっとゴリゴリにすり減っていると思っていた。
ところが実際には、削れていたというより、指の付け根が当たるあたりがギュっと圧縮されて、自分の足の形に寄ってきていた。
踵の減りもほとんどない。使い捨てのサンダルみたいな見た目なのに、裏にはちゃんと僕の走り方が刻まれていた。
進化していたのはフォームのほうだった

そのとき、気づいた。
変わっていたのは島ぞうりだけじゃない。僕のランニングフォームのほうも、ちゃんと進化していたんだ。
島ぞうりに替えてから、着地の感覚が明らかに変わった。
ドスンと体を落とす感じではなく、爪先から着地して、最後に体を安定させるために踵をそっと地面に触る感じ。
その流れになってから、ふくらはぎに余計な負担がかかりにくくなって、脚が痛くなることもなくなった。
身体が、自然に前へ転がるようになってきた気がする。
しかも面白いのは、速く走るときも、ゆっくり走るときも、フォームそのものはあまり変わらないこと。
変わるのは心拍数だけ。
まるで自分の体が乗り物になって、アクセルを踏むぶんだけスピードが上がり、エンジンみたいに心臓が唸りを上げる。
あの瞬間がたまらない。
「ああ、生きてるな」と思う。
たぶん僕は、島ぞうりランナーである

2ヶ月半。
最初は遊び半分だった島ぞうりランが、気づけば本番のスタートラインまでついてきた。
これで島ぞうりで2度目のレースになる。
もう言っていいだろう。たぶん僕は、島ぞうりランナーである。
ぎふ清流は、こいつにとっても僕にとっても、まだ通過点だ。
この先がフルになるのか、ウルトラになるのか、ウルトラウォークになるのかはまだわからない。
ただ、島ぞうり伝説の続きは、ちょっと見てみたくなっている。
信長公も見た景色へ

そして何より、舞台がいい。
金華山の麓を流れる長良川。信長公も見た景色の中を、自分の足で走っていける。自然のままのフォームで、岐阜の空気を吸いながら進んでいける。
それだけで、もう十分に楽しみだ。
土曜日はゆっくり休む。そして日曜日、本番へ。
島ぞうりと一緒に、岐阜を走ってくる。










