
冷たい風が吹き荒れるバンテリンドーム。僕は駐車場の片隅にいた。
風が吹くたびに、周りからは「あぁぁ寒い」と悲鳴のような声があがる。
そう、今日は名古屋シティマラソン当日。スタートの瞬間である。

遥か彼方から号砲が聞こえた。
僕の周囲は寒さに震えたまま。
ようやく列が動き出したのは8分後。スタートラインを越えたのは、さらにその10分後だった。
まずは、のんびり楽しむつもりだった

さぁ、始まった。
名古屋の主要道路を独り占めできる21キロの旅。今年の目標は、時間を目一杯使って楽しむこと。
ランニングを楽しみ、写真を撮り、沿道の応援に応える。速く走るのは若いヤツに任せておけばいい。僕みたいなおっさんは、最後尾からのんびり満喫すればいいのである。
写真を撮りながら走るのって楽しいんだよね。
僕が撮りたかったのは、陽の光で金色に輝くランナーたち。

逆光で望遠をのぞくと、光が凝縮されて浮かび上がる。名古屋の道路を埋め尽くす人の波が、いつもの街とはまるで違う表情を見せてくれる。
3.8キロあたり。対向車線から黄色い歓声が飛んできた。ウィメンズのランナーたちだ。
「ファイトー!」
もちろん、僕に向けてじゃない(笑)
それでも、こういうのが楽しい。名古屋ウィメンズ&シティマラソンって、街全体が巨大な舞台になるんだよね。走ってるだけで、ちょっとした登場人物になった気分になる。

シティの先頭集団が爆走していった。今年は4人の集団だった。
一瞬で駆け抜けていくトップランナーたち。彼らはライバルとの距離を測るように、鋭く目を動かしていた。僕とはまるで別の競技みたいだな、なんて他人事のように眺めていた。
6キロ地点までは。
ところが、6キロで現実に叩き戻される
沿道のボランティアから声が飛んだ。
「急いでください!」
えっ?
どういうこと?
まだ始まったばかりだよ。僕みたいなド底辺ランナーが、そんなに急ぐ場面ある?
関門地点が見えた。表示されている封鎖時間は、あとわずか。
10秒前だった。

まじか!!
ハーフマラソンで関門スレスレって、どれだけ余裕ぶっこいてたんだ、僕は。
考えてみれば当然だった。
僕がスタートラインを越えたのは、号砲から18分後。マラソン大会は速いランナーから順にスタートしていく。遅いタイムを申告している僕みたいなランナーは、最初の関門がとにかくシビアなのだ。
第1関門の罠を、僕はすっかり忘れていた。
楽しみながら走る? 写真を撮る? のんびり満喫?

そんなこと言ってる場合じゃない。このままだと、ほんとに収容バス行きである。
僕はカメラをザックに放り込み、ペースを上げた。
ここからは、楽しむより生き残る

ここから空気が変わった。
さっきまで“街を楽しむ旅”だったものが、一気に“生き残りをかけたレース”に変わった。
沿道の景色を味わう余裕なんてない。ただ前へ前へと脚を運ぶ。給水も、写真も、全部後回し。とにかく関門だけは越えなければならない。
10キロの関門。封鎖まで残り2分。
広がった余裕は、たったそれだけ。でも僕にとっては大きかった。ほっと息をついた、そのときだった。
赤いユニホームに、火をつけられる

「グランパス、頑張れー!」
沿道から、完全に僕に向けた声援が飛んできた。
僕はグランパスのユニホームを着ていた。周りに赤いシャツのランナーはいない。あれは間違いなく僕への声だった。
燃えたね。
左手を上げて応え、そのまま少しだけペースを上げた。
グランパスのユニホームを着ている以上、僕は勝手にファミリーの一員である。遅いのは仕方ない。でも、カッコ悪い走りだけはしたくない。
背筋を伸ばし、腕を振る。さっきまで関門に怯えていたおっさんが、ちょっとだけ戦う顔になっていた。
ようやく、名古屋の景色を取り戻した

15キロの関門。封鎖まで7分。
ここでようやく勝負ありだった。この先に関門はない。収容バスの恐怖から解放された瞬間、ふっと視界が開けた。
テレビ塔が見えてきた。

あの通りのど真ん中を、堂々と走れる。こんな景色、今日しかない。さっきまで必死だったのに、不思議なもので、また少しだけ楽しむ余裕が戻ってきた。
名古屋の街を、自分の足で駆け抜ける。
寒さに震えていたスタート前。関門10秒前で青ざめた6キロ地点。グランパスの声援で火がついた10キロ地点。テレビ塔の前で景色にうっとりしたり。
そして最後は、気持ちよくゴールへ

ゴールゲートが見えた。
自然とペースがアップした。
そして僕は、両手を上げて、フィニッシュラインを駆け抜けた。









