2026-04-27

「ぎふ清流2026」スタート直後、ゼッケンをつけた男がタクシーから降りてきた

大事な日に限って、人は初歩的なミスをする。

しかも、それがマラソン大会のスタート時間だったりするから、人生は油断ならない。

ぎふ清流ハーフ当日の朝。僕は岐阜駅に降り立った。

時刻は8時50分

目の前には、黄金の信長像が立っている。信長公は今日も堂々と金ピカだ。周りを見渡す。

静かだ。

あれ?清流ハーフの日って、ランナーでごった返してなかったっけ?

エアーサロンパスの匂いが充満していて、シャトルバス乗り場に行列ができていて、ランニングウェアの人たちが駅前をぞろぞろ歩いていて。

そんな記憶があった。

なのに、岐阜駅前は妙に落ち着いている。

ランナーがいない。大会の熱気がない。エアーサロンパスの匂いもしない。

いるのは、金ピカの信長公と、妙な胸騒ぎを抱えた僕だけである。

号砲は、もう鳴っていた

9時ちょうど。

さすがにおかしいと思って、試合要項をチェックしてみた。

ガーン……。

僕はスタート時間が10時だと思っていた。

ところが、正しくは9時。

今、まさにスタートの号砲が鳴ったようだ。

そう、1時間遅刻していたのだった。

名古屋シティマラソンのスタートが10時だったから、ぎふ清流ハーフも同じだと思い込んでいた。しかも、前日に案内を読んで確認したはずなのに、なぜか間違えている。

えぇ、僕らしいです。思い込みって怖い。

岐阜駅から長良川メモリアル競技場までは、車で15分近くかかる。13年前に走った時は、たしか15分遅れてスタートした記憶がある。

けれど、今回は完全に無理だ。今から会場へ向かって、荷物を預けて、スタート地点に立つ頃には、どれだけ早くても9時45分。

ハーフマラソンで45分遅れ。もはや、追い上げとかそういう問題ではない。

あかん。これは何をやっても間に合わない。

こうして、3度目のぎふ清流ハーフはDNSに終わった。

DNS。

Did Not Start。

つまり、スタートすらしていない。なんとも清々しい敗北である。

ゼッケン姿で、タクシーに乗る男

このまま帰ろうか、しばらく迷った。

せっかく早起きして岐阜まで来たのだ。このまま名古屋へ帰るのは、あまりにも空振り感が強すぎる。

スタートとゴール地点となる長良川メモリアル競技場に、せめて行くだけ行ってみよう。

9時10分。

僕は開き直って、タクシーに乗り込んだ。走るために来た男が、走る前からタクシーに乗っている。

しかも、格好は完全にランナーだ。ランニングウェアにゼッケン。足元は、いつものラン用の島ぞうり。

9時25分。

長良川メモリアル競技場に到着した。

スタート直後、ゼッケンをつけた男がタクシーから降りてくる。

何が起きたんだよ(笑)

会場では、すでにスタート後の撤収作業が始まっていた。人はまばら。さっきまでここに1万人近いランナーがいたはずなのに、陸上競技場は妙に静かだった。

マラソン大会のスタート後って、こんな感じなんだ。

そりゃそうだ。選手は誰もいない。

あっ、一人、ここにいた(笑)

島ぞうりだけが救いだった

ただ、唯一の救いは島ぞうりだったことかもしれない。

ランニングシューズでビシッと決めていたら、敗北感がもっと濃かった気がする。島ぞうりだと、どこか「遊びに来ました感」がある。

いや、もちろん走るつもりだった。走るつもりではあった。

足元だけが、妙にリゾートだった。

会場周辺には、信長公のお膝元らしく「楽市楽座」と銘打って屋台が10軒近く並んでいた。

楽市楽座。信長公が城下町の商売を活気づけた政策にちなんだ名前。金華山を望むこの場所で、その名前を掲げた屋台が並んでいるのは、なかなかいい。

わざわざ会場に足を運んだのは、もちろん屋台で岐阜グルメを楽しむためである。

もう走れない。ならば、食べるしかない。なんで?(笑)

完敗のビールは、やけにうまい

岐阜名物「鶏ちゃん」の唐揚げとビールを注文した。

揚げたての鶏ちゃんは甘みのする味噌ダレがかかっていて、ビールを呼ぶ味だった。青空の下、視界の向こうには、信長公が天下布武を夢見た金華山が見える。

いやぁ、気持ちいい。

走ってもいないのに、ビールをグビグビと飲む。

うまい。

めちゃくちゃうまい。

今まさに、ランナーたちは死に物狂いで長良川沿いを走っている。その同じ時間に、僕は一人だけ完全に完敗して、鶏ちゃんの唐揚げをつまみにビールを飲んでいる。

感覚としては、仕事を早上がりして一杯やっている時に近い。

まだみんな働いている。その時間に、自分だけ店にいる。ちょっと悪い。でも、かなり気持ちいい。

そんな感じだ。

「走れはしなかったけど、楽できたからいいじゃん」

なんて、およそランナーらしくない結論に達して、のんびりしていた。

本物のランナーが帰ってきた

その時だった。

時刻は10時を越えたあたり。

楽市楽座の向こうから、空気の違う人たちが歩いてきた。

汗をかいている。顔が締まっている。ゼッケンが胸にある。完走タオルを手にしている。

早くも、ハーフマラソンを走り終えたランナーたちだった。

えっ?

ハーフって、こんなに早くゴールできたっけ?

あと1時間くらいかかるんちゃう?いやいや、僕が遅すぎるんだよ(笑)

カリカリに引き締まったランナーたち。ひと勝負終えたとは思えないくらい、みんな元気がある。まだ走り足りないのか、走って更衣室へ向かうランナーもいる。

「これが本物のランナーなのか」

なんか、ちょっと悔しかった。

負けたのではなく、戦っていなかった

走れなかったこと自体より、走らなかった自分が、走り終えた人たちを眺めている構図が悔しかった。

タイムで負けたならまだいい。途中で歩いたなら、それもレースだ。苦しくて失速したなら、それも自分の実力だ。

この日は、スタートラインにすら立っていなかった。

負けたのではなかった。戦うことすらせずに、ビールを飲んでいたのだ。

そのチクチクした感じは、仕事でミスをして、それを誰かにカバーしてもらった時の感覚に近かった。

「あぁ、やっちまった」

「時間よ戻れ」

そんな気持ちが、胸の奥でじわじわ広がっていく。さっきまでうまかったビールが、ほんの少しだけ苦くなった。

一応、僕もランナーの端くれである。

なんなら、この人たちと同じ土俵で戦っていたはずだった。島ぞうりで走るつもりだった。ぎふ清流のコースを、長良川の風を受けながら進むつもりだった。

それなのに、今日の島ぞうりはコースを走らず、岐阜観光をしただけである。

まあ、それはそれで似合っている気もするけれど(笑)

しれっと完走顔で帰る

やがて、帰りのシャトルバスに乗る時間になった。

バスには、完走タオルに身を包んだ人たちが次々と乗り込んでくる。みんな、ちゃんと走ってきた人の顔をしている。疲れているけれど、どこか晴れやかだ。

えぇ、僕ですか?

気持ちと格好だけは完走しましたよ(笑)

ランニングウェア。ゼッケン。島ぞうり。そして、汗ではなくビールの余韻。

来年こそは、せめて同じ時間に、同じ空気の中に立ちたい。

速い遅いはそのあとでいい。まずは、号砲の鳴る場所にいることだ。

そんな決意を胸に、僕はまるで走り終えたような顔をして、帰りのシャトルバスに乗った。

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