
毎日のように通る駅前にも、見えているようで見えていないものがある。
大曽根に歴史的な遺物ってあるのだろうか?
そんな疑問を、商店街に深く関わっている方にぶつけてみた。
その方はしばらく考えたのち、絞り出すように答えてくれた。
「駅の階段を上がったところにある、アレでしょ」
やっぱり、アレか。僕はすぐにピンときた。
駅の階段を上がったところにある“アレ”

大曽根駅から地下通路を通り、オゾンアベニューへと出る階段を上がる。
すると、ひっそりとたたずんでいる小さな石の道標(みちしるべ)がある。
膝丈ほどの石。
周りにはバイクや自転車が置かれていて、気をつけて見ていないと、そのまま通り過ぎてしまう。
正直、存在感はかなり薄い。
駅前には人が行き交い、車の音も響いている。その足元に、ぽつんと石がある。
誰も、この道標のことなんて知らないんだろうな。
そんなことを思ってしまうほど、静かにそこにいる。
「あれ? なんだこれ?」から始まった発見

僕が初めてこの道標を見つけたのは、ちょっとした偶然だった。
道路を横切ろうとしたとき、邪魔なところに石が置いてあった。
「あれ? なんだこれ?」
最初はそんな感じだった。

よく見てみると、ただの石ではなさそうだった。
表面には文字が刻まれている。角は丸くなり、表面はざらつき、風雨にさらされた時間がそのまま残っている。
文字はかなり判別しづらい。
かつては、真四角で磨き込まれていたのだろう。今ではその面影も薄くなり、知らない人が見れば、本当にただの石に見えるかもしれない。
けれど、どうやらそれは歴史的なものだった。
そして初めて気づいた。
大曽根って、街道が交わる繁栄した宿場町だったのか。
下街道と瀬戸街道が交わった大曽根

大曽根は、信州へ向かう下(した)街道と瀬戸街道が交わる交通の要衝だった。
人が通り、物が運ばれ、店が並び、旅人が足を止める。そういう場所だった。
今でこそ、大曽根といえば駅、バス、地下鉄、車の流れという印象が強い。
けれど、交通の要衝であること自体は、昔から変わっていない。
その記憶を、あの小さな道標が今もつないでいる。
「何もないんですよね」繁栄と再開発が残したもの

「何もないんですよね」
商店街に深く関わっているその方は、そう話してくれた。
確かに、僕も大曽根をあちこち歩いてきた。けれど、宿場町だった当時を思い起こさせるようなものは、ほとんど残っていない。
逆に言えば、それだけ明治から昭和にかけて、大曽根が動き続けてきたということなのだと思う。
人が増え、商売が生まれ、建物が変わり、道が変わり、景色が変わっていった。
繁栄したからこそ、古いものが残らなかった。そう考えることもできる。

そして、平成の再開発。
歩く人の気配が薄くなり、車の流れだけが目立つ場所になってしまった。
かつて人が集まり、商店街に熱があり、街そのものがにぎわっていた大曽根。その火は、平成で一度、消えかけたのかもしれない。
そんな中で、あの小さな石の道標は残っている。
「残ってくれてよかった」と思える石

「残ってくれてよかった」
その方は、しみじみとそう話してくれた。
この言葉を聞いたとき、僕も同じ気持ちになった。
本当に、残ってくれてよかった。
かつての繁栄の記憶が、確かにここにある。
石に触れると、昔の大曽根が見えてくる

石の道標に触れてみる。ざらりとしている。冷たくて、静かで、何も語らない。
けれど、その沈黙の中に、昔の大曽根のにぎわいが詰まっている気がした。
美味しいものを求めて人が集まる。
娯楽を求めて人が集まる。
商店街を歩き、店をのぞき、誰かと笑いながら帰っていく。
そんな光景を、僕は見たことがない。
見たことはないけれど、一度でいいから見てみたいと思う。
宿場町として栄え、アーケードの商店街に人々が集まっていた、あの頃の大曽根を。
過去の大曽根と、未来の大曽根

大曽根に立ち寄ったら、この道標を見つけてあげてほしい。
安心してほしい。こいつは逃げたりしないからね(笑)
階段を上がったところで、ひっそりと待っている。
そして、大曽根がかつて繁栄を極めた街だったことをイメージしてみるといい。
道が交わり、人が行き交い、食べるものがあり、楽しむ場所があり、商店街に笑い声があふれていた大曽根。
きっと、あなたの目にも見えてくるはずだ。
そのイメージは、過去の大曽根の姿であり、未来の大曽根の姿でもある。
小さな石の道標は、今日も駅前に立っている。
大曽根の昔を指し示しながら、これからの大曽根も、静かに指し示している。
◆商店街に残る宿場町だった頃の記憶:三葉の松──大曽根マックで出会った、ひとつの奇跡



