
やらかした翌朝ほど、自分の中の理想が見えることがある。
昨日の僕は、まさにそれだった。
「理想を持ち、信念に生きよ」
天下布武に邁進する信長公が放ったとされる言葉である。
昨日のぎふ清流ハーフ。僕は、スタート時間を間違えて遅刻し、ビールを飲んでだらけていた。
走るはずだった人間が、走り終えた人たちを横目にビールを飲んでいる。
情けない。けれど、うまい。そのうまさが、また情けなかった。
僕に足りなかった「理想」

奇しくも同じ日、ロンドンでは人類初のマラソン2時間切り。富士山では160キロのトレイルランニング「Mt.FUJI100」で友人が見事36時間弱の完走を果たしていた。
なぜだ。
なぜ僕だけ取り残されているんだ。
そんなことを思っていた時に、冒頭の信長公の声が聞こえてきたんだ。
そう、僕に足らなかったのは、理想を持つこと。
健康のためとか、ダイエットのためとか、気分が良くなるとか、速くなりたいとか。
ったく、ブレブレじゃねぇか!
ビールを飲みながら見た光景が心に刺さっている。1時間ちょっとでハーフを走り終えたランナーが、キラキラと輝いていた。
ああいうランナーになりたかった

細いのに、芯がある。まるで綱引きの綱みたいに、ぎゅっと筋肉が詰まった体。
全力を出した後なのに、いや、全力を出し切ったからなのか。その人は笑顔を浮かべて、更衣室へと軽やかに歩いていた。
僕は、ああいうランナーになりたくて走っていたのではないか。
ずっとそうなりたいと思っていた姿。つまり、「理想」がそこにあった。
島ぞうりで、また走り出す

ってなわけで、日々のランニングでは「理想を持つ」ことにした。
理想を持ち、信念に生きれば、信長公とまではいかなくても、そこそこかっこいいランナーぐらいならなれるはず。
僕はぎふ清流ハーフ2026の参加賞Tシャツを着こみ、島ぞうりを履いて玄関を飛び出した。
昨日の雨で肌寒さの残る矢田川を1時間。
ガチランナーのような顔をして、風を切って走った。
黄金の信長公に、また会いに行く

来年、黄金の信長公に再会しようではないか。
その時、僕は胸を張ってこう言いたい。
「理想を持って1年、走ってきました」と。
島ぞうりの足音が、もう次のスタートを鳴らしている。





