
午前11時、大曽根駅南口。
野球を観戦する人の波が、バンテリンドームへと向かっていた。
その中で僕はただ一人、ランニングウェアを着て駅前に立っていた。
そう、この日は第2回、大曽根ハーフマラソンが開催される。
号砲はない。
静かに走り出した。
3日前、ぎふ清流ハーフを遅刻してDNSして、走ることすらできなかった。そのリベンジを果たすために、一人でハーフマラソンを走るのだ。
なんて言うと、「すごいストイックだね」とか思うじゃん。
それが実は、全然違うんだよ。
スタートもゴールもお気に召すまま

マラソンなんて、一人で勝手に走った方がいいに決まっている。
いつスタートしたっていい。タイムも順位も関門もない。お腹が減ったらコンビニで何かを買ってもいい。コースだって好きな道を走ればいい。
8の字型にコースを設定しておけば、途中でアクシデントがあっても、そんなに遠くまでは行っていないから安心できる。
正直なところ、マラソン大会に出る理由がよく分からないんだよね(笑)
一人で好き勝手に走ればいいじゃん。
まあ、お祭りだと思って出てるんだけど。
大曽根ハーフマラソン開催です

大曽根ハーフマラソンのコースは、大曽根の魅力を詰め込んだ特別コースである。
知る人ぞ知る大曽根駅南口をスタート。異国情緒がする中央線沿いを抜ける。バンテリンドームの横を通り、爽快な矢田川河川敷へ。緑に包まれた御用水跡街園を走り、名古屋城へ向かう。そこから桜並木の瀬戸線高架下を通り、大曽根商店街を抜けて、最後は徳川園でゴール。
はい、大曽根の名所をだいたい詰め込みました!
ってなコースである。
自分の好きな道をつなぎ合わせて、好きな時に、好きなように走る。
これはもう、ランナーの至福の時間と言っていいんじゃないかな。
理想の自分になれない真理

のんびりと走っていた。
ランニングの時間は、思索の時間でもある。
僕は走りながら、ずっと考えていた。
「なぜ自分は、ガチランナーになれないのか」
大会で誰よりも早くゴールして、僕がようやくゴールするころには、涼しい顔でシャトルバスに乗り込んでいるあのカッコいい奴らである。
あの人たちに、僕は1ミリも近づけていない。
年齢のせいか。素質がないのか。仕事が忙しいからか。練習量が足りないからか。
たぶん、それもある。
ただ、もっと根っこの部分で、僕はある真理に気がついた。
「なりたい」が、僕を遠ざけていた

つまり、僕は「なりたい」と強く思っていたから、なれなかったんだと。
「えっ、それ逆でしょ。なりたいと思うから、なれるんじゃないの」
みんな、そう思っている。僕もずっとそう思っていた。
けれど、逆だったんだよ。
「なりたい」と思っている限り、永遠になりたいものには近づけない。
その理屈を話そう。
ガチランナーになりたい。絵がうまい人になりたい。毎日ブログを書ける人になりたい。かっこいい大人になりたい。

そう思っている時点で、理想の自分を遠くに置いている。
「今の自分は、まだそこにはいません」
「理想の姿とは、まだまだ距離があります」
「いつか、そうなれたらいいですね」
そうやって、自分で自分に念押ししている。
理想を遠くの山に置いて、その山を眺めながら、ああ、いつか登りたいなあと言っている。
人の心は、心地よい状態から抜け出そうとするのをすごく嫌がる。
遠いところまで苦労して辿り着こうなんて、まっぴらごめん。しんどいことは、できれば明日にしたい。今日くらいは、まあいいかで済ませたい。
それが人の心である。
そんな精神状態で、理想に近づけるのだろうか。
答えは、NOだね。
だから、こう変えればいい。
「既になっています」と。
心の矢印を「既になっています」にずらしてしまえ

ガチランナーになりたい。
ではなく、「僕は、既にガチランナーです」と。
そう思うと、何が変わるのか。
遠くに置いていた理想が、一気に自分の中に入ってくる。
体や技術や実績は、まだ全然違うかもしれない。
それでも、心の中だけは先に理想の姿になる。
心の矢印を、ほんの少しずらすだけ。
ただ、この変化はデカい。
最初から「既になっています」と思ってしまえば、できていない自分に違和感を持つようになる。
「あれ、ガチランナーなのに、今日は走らないの?」
「ガチランナーなのに、7キロでやめるの?」
「ガチランナーなのに、21キロを怖がってるの?」
そうやって、心地よい状態を、理想の姿にすり替えてしまえばいい。
21キロが普通に思えた

今日の朝、まさにそれが起きた。
ハーフマラソンを走ろうか。やめておこうか。
心の中はシーソー状態だった。
3日前にぎふ清流ハーフをDNSしたばかり。気持ちとしては走りたい。けれど、21キロは長い。一人で走るには、なかなか長い。
いつもの「ガチランナーになりたい」と考える自分なら、こう思っただろう。
「まだ、自分には21キロは厳しいかな」
「今日は7キロにしておこう」
「無理しても意味ないしね」

そうやって、理想には近づきたいと言いながら、やっていることは真逆になる。
ガチランナーになりたい。だけど、ガチランナーは遠い存在。だから今日はやめておく。この流れ、めちゃくちゃ自然である。自然すぎるからこそ、ずっと変わらない。
そこで、「既になっています」という方向に心の矢印を向けてみる。
すると、考え方が変わる。
「ガチランナーなら、21キロくらい楽勝でしょう」
楽勝かどうかは知らない。本当に楽勝なわけもない。
けれど、ガチランナーなら走る。
そう思った瞬間、迷いは消えた。僕は島ぞうりを履いて、玄関を出た。
信号が赤になるたび、少し救われた

もちろん、ハーフマラソンはそんなに甘くない。
19キロ地点で、すでに3時間をオーバーしていた。大会なら収容バスに乗せられている。
脚はグネグネ。フォームも何もあったもんじゃない。走っているのか、歩いているのか、自分でもよく分からない。
信号が赤になるのが嬉しかった。青になるたびに、少しだけ絶望した。
「もうちょっと赤でいてくれてもいいんだよ」
信号機に謎の友情すら感じていた。
だけど、不思議と気持ちは清々しかった。

徳川園のゴールに駆け込む。
タイムは3時間12分。
その瞬間、僕はガチランナーとして生まれ変わった。




