
武士の世が始まろうとしていた時代。1100年代後半から1220年ぐらいにかけて大曽根を治めていた武将がいた。
彼の名は山田重忠。
900年も前なのに、今も大曽根近辺のあちこちに重忠公の痕跡が残っている。
きっかけは六所神社の「創建年」

六所神社。
ナゴヤドームがすぐ近くに見える大曽根の古い神社。
ここの歴史を調べてみると、引っかかった。創建の年である。
神社のHPによると「古説には、建久年間(一一九〇~九九)創建と伝える」とあった。
1190年? その時代、大曽根を治めていたのは誰だっけ? もしかして重忠公が六所神社を創建したんじゃないか?

そんな思いにとらわれると、居ても立ってもいられなくなって足は六所神社へと走っていた。
三菱電機の裏手にこんもりと森のような木々が見えてきた。
境内の空気は「時間が止まる」

神社に入る。
苔むした大木が生え、凛とした木の香りに包まれた。ここだけポッカリと時代から切り離されたように静か。

境内には風車と風鈴が回廊のように飾られていた。そよ風が吹くとどこかから、チリンと切なげな音が聞こえてくる。
風車を見ると、願い事が書かれていた。絵馬のように奉納されたものであろう。
手がかりは…ない(正直)

僕は重忠公の痕跡を探してみた。
重忠公の時代は900年近く前である。どこを見回してもそんなものは見つからない。
そもそも、六所神社の公式HPにだって「山田重忠」の名は一言も出てこないからね。
それでも湧く疑問:なぜ、ここに建てた?

ただ、今の時代まで続くような大きな神社を建てるには、統治者である重忠公の強い意向があったはず。
では、いったいなぜここに神社を建てたのか?
聡明であったと伝わる重忠公である。何の根拠もない場所に神社を建てるわけはない。
付近を見て回った。

この場所は、台地のへりにある。しかも、台地の下側。なぜ台地の下に?
ここはかつて湿地帯で人が住むには適さなかったという話を聞いている。
軍事施設にも転用できる神社を建てるなら、台地の上の方が守るも攻めるも立てこもるにも最適だったはず。
なのに、なぜ重忠公は台地の下に神社を建てたんだろう。
重忠公=水の人?という直感

僕は、重忠公が大曽根に建てた別の建物に思いを馳せた。
長母寺、幸心城、大永寺、居城にいたるまで全て水のある場所に拠点を建てているんだ。
もしかしたら、六所神社も水があったからここに建てたのでは?
もしかしたら、重忠公は大曽根に運河を張り巡らせて水軍を組織していたのでは?
水軍が力の源となって、大曽根の覇者として君臨していたのでは?
妄想は妄想として

何の根拠もなく、妄想が妄想を呼ぶ(笑)
結局、たどりついた答えは、重忠公は水と深い関わりがあるということだけ。
運河や水軍の存在は飛躍しすぎと言わざるを得ない。いや、これからの宿題として調べてみるのも面白いだろう。
2月26日は「カッチン玉祭り」

六所神社では毎年2月26日にカラフルな飴玉を食べる「カッチン玉祭り」が催される。
お祭りに行ったら、神社がどんな場所に建てられたのかチェックしてみてほしい。
重忠公が水と共に生きたことがよく分かるからね。
◆山田重忠公についての記事はコチラ



