
「楽器を始めてみたいなぁ」
そう思ったことがある人は、けっこう多いんじゃないかな。
ギターやピアノはかっこいい。
けれど、いきなり本格的なものを買うのは少し気が重い。値段もそこそこするし、ちゃんと続けられるかも分からない。できれば、もっと気軽に、家で一人で、思い立った時にすぐ触れられるものがいい。
僕も、そんな楽器を探していた。
ある日、大曽根商店街にある「喫茶はじまり」にお邪魔したところ、見慣れないものが置いてあった。
丸い形をした顔から棒が伸びている、プラスチックのおもちゃみたいなやつ。棒の先端は旗みたいな形をしていて、なんとも言えない可愛さがある。
「これ、なんだろう?」

そう思って眺めていたら、店長さんが教えてくれた。
「オタマトーンですよ。ご存知ですか?」
なんとなくは知っていた。人間が歌うみたいに、フガフガと面白い音が出る、あの不思議なおもちゃである。
すると店長さんが、こう続けた。
「実は、楽器なんですよ」
その一言で、ちょっと世界の見え方が変わった。
おもちゃみたいなのに、ちゃんと歌う

気になってYouTubeで調べてみたら、驚いた。
こんなにもプラスチック然とした、おもちゃチックな見た目なのに、ちゃんと歌うような音色を奏でていたから。
しかも、上手い人が弾くと、本当に表情がある。ふざけた見た目なのに、音には妙な色気がある。
あかん、やられた。
僕は、こういう楽器を始めたかったんだよ。
値段は、一番安いもので3000円程度。これがまた絶妙。高価な楽器を前にすると、「ちゃんと練習しなきゃ」という空気が出る。
もちろんそれも悪くない。けれど今の僕が欲しかったのは、もっと軽やかな入口だった。

オタマトーンは、おもちゃといえばおもちゃだし、楽器といえば楽器。その曖昧さがすごくいい。気軽に手に取れて、フガフガ鳴らしているだけでも楽しい。
なのに、練習を重ねればプロ級の演奏までできるらしい。
敷居は低い。夢は大きい。
この距離感、最高じゃないか。
僕は速攻でポチった。
買ったのは「テクノ」

買ったのは、オタマトーンシリーズの全部乗っけみたいな「テクノ」というモデル。
スタンダードなものより1.5倍くらい大きくて演奏しやすいとのこと。電源アダプターの端子、ヘッドホンジャック、スマホアプリと接続できる端子なんかも付いている。
いざ手に持ってみると、やっぱり軽い。
楽器というより、おもちゃと言いたくなる軽さ。
これがいいんだよね。
ずっしり重いだけで、「さあ本気を見せてみろ」みたいな圧が出る。その点、オタマトーンにはそれがない。
こっちの肩の力を抜いてくれる。まずは遊ぼうぜ、と言ってくる感じがする。
鳴らしてみたら、思った以上にしゃべる

電池を入れて、さっそく音を出してみる。
棒の黒いパネルを、つまむように軽く押す。どうやら、触っている場所に応じた音が出る仕組みらしい。
「プー」
そっけない電子音が響いた。

次に、音を鳴らしながら丸い顔のほっぺたを握る。すると口が開いて、音が「ウワ」みたいに変わった。
おお、しゃべった。
これが面白い。
気がつくと、「ウワウワ」言わせて遊んでいる。楽器というより、生き物に近い。こっちが触ると、向こうが反応してくる。そんな感じがある。
この時点で、もうかなり楽しい。
楽器経験が豊富じゃなくてもいいし、楽譜が読めなくてもいい。まず音を出した瞬間にちょっと笑ってしまう。ここが、オタマトーンのすごくいいところだと思う。
さあ演奏……のはずが、全然わからない

さて、何か弾いてみよう。
そう思ったところで、いきなり壁にぶつかった。
どこを触れば、どんな音程が出るのか、さっぱり分からないのである。
棒には、音階を示す目印が何もない。動画に出てくるオタマトーン演奏家たちは、当然のように指を動かしているけれど、あれはもう体が覚えている人たちの世界だ。
「ああ、やっぱり簡単な世界ではないんだな」と思い知らされた。

調べてみると、黒いパネルの横にセロテープを貼って、チューナーで音を拾いながらマークしていけばいいらしい。チューナーはスマホのアプリで十分だった。
なるほど。そういうことか。
音階をひとつずつ確認して、印をつけて、準備完了。
さあ、初めてのオタマトーン演奏。オタマトーンアーティストとしての一歩を踏み出した。
最初の一曲は「カエルの合唱」

曲は「カエルの合唱」。
たぶん、日本人が生まれて最初に演奏する曲の代表格である。
テープにマークした音階どおりに、黒いパネルを押していけばいいだけ。理屈の上では簡単。楽勝だと思った。
まあ、こういうもので楽勝だった試しはあまりないんだけどね(笑)
実際に鳴らしてみた感じを、文字で表現するとこうなる。
🎵カエル ピー 歌 グワァァ
そんな感じ。
音階は無段階に変化するから、ちょっと位置がズレるだけで、すぐ違う音になる。狙った音にスッと入るのが、思ったより難しい。
僕のオタマトーンは、僕と同じでかなりの音痴のようである(笑)
楽器は、頭より先に指が覚える

最初は、音がズレるたびに「うげっ」となる。
上手くいかない。思ったように歌ってくれない。
けれど、何度も触っているうちに、ふと別のことを思い出した。
小学校のころ、家にはパソコンが置いてあった。
最初は右手の人差し指だけで、ぽつぽつキーを打っていた。それがいつの間にか左手の人差し指も使い出して、気がついた時には、両手の指を全て使って普通にタイプしていた。
別に、タイピングを猛特訓した記憶はない。
使っているうちに、指が覚えていったのだ。
楽器もきっと同じなんだと思う。
最初は「一本指打法」みたいなぎこちない動きでも、繰り返しているうちに、少しずつ体に入っていく。頭で考えて押す段階から、指が勝手にそこへ行く段階に変わっていく。

オタマトーン初日、僕は3時間ほど「カエルの合唱」を弾き続けた。
最初はプピーホゲーだった音が、だんだんカエルたちの歌声っぽくなっていく。
あれ、弾けてるぞ。
たどたどしい。けれど、ちゃんと曲になってきた。
どうやら指が、少しずつ正しい位置を覚え始めていたらしい。
この瞬間、オタマトーンはただの面白おもちゃから、ちゃんと付き合う価値のある楽器に変わった。
こいつと一緒に遊んでいけばいい

一番簡単と思われる「カエルの合唱」は、なんとか間違えずに演奏できるようになった。
だったら、あとはこれを繰り返していけばいい。
少しずつ難しい曲に挑戦して、オタマトーンと僕が一体になるまで、こいつと一緒に遊んでいけばいいんだ。
なんだか面白くなってきた。
オタマトーンって、おもちゃというか楽器というか、いや、それよりも少し自分自身に近い感じがする。
最初は上手くしゃべれない。変な声しか出ない。狙ったところにもなかなか届かない。けれど、何度も付き合っているうちに、少しずつ自分の声になっていく。
フガフガワウワウと、こいつが自分の代わりに歌ってくれる。
そんな気がするんだよね。
楽器を始めたい人の、ちょうどいい入口かもしれない

楽器って、もっと構えて始めるものだと思っていた。
ちゃんとした知識があって、センスがあって、練習を続ける覚悟がある人のもの。どこかでそんなふうに思っていたのかもしれない。
けれど、こういう入り方もある。
まずは笑える。
まずは触りたくなる。
まずは音を出してみたくなる。
そこから少しずつ、指が覚えて、体が慣れて、気がついたら曲になっている。その流れは、趣味の入口としてかなり理想的だ。

さてと、簡単に弾ける短音の楽譜でも買ってみるかな。
新しい趣味というか、人生を楽しむ相棒を見つけた感じがしている。
「楽器を始めてみたい」
そう思っているけれど、いきなり本格的なものは少し重い。
そんな人には、オタマトーンは案外ちょうどいいかもしれない。フガフガした顔で、けっこう真剣に、人生を少し楽しくしてくれるから。










