己書は「和の魂」を描くもの。東別院で見たのは、筆先へと集約される舞いの動きだった

己書って、自由に描いていいと言われる。

ただ、その「自由」がいちばん難しい。

頭では自由にしていいと思っていても、いざ筆を持つと、手が固まる。

気づけば、いつものペンと同じ持ち方、同じ動かし方で、文字を整えるように書いている。僕も、まさにそんな感じだった。

そんな中、こないだの己書の幸座で先生からこんな話をいただいた。

先生から聞いた、東別院での実演の話

日曜日に東別院で、高名な師範の方が大きな紙に己書のパフォーマンスをするという。

「よかったら見に行ってくださいね」

いつも親身になってご指導してくださる先生からの提案。断れるはずがない。

というか、実を言うと、僕は己書の描き方を、先生が目の前で指導してくださる場面以外で見たことがなかった。

しかも今回は、さらにレベルの高い師範の実演だという。そんなもの、見てみたいに決まっている。

ってなわけで、眠い目をこすりながら東別院へ向かった。

朝の東別院は、縁日ですでににぎわっていた

パフォーマンスが始まるのは朝10時。

少し早めに着いたので、東別院の境内を歩いてみた。

毎月12日は縁日が開かれているらしい。

野菜や果物、大福やだんご、海藻、履き物、服、仏具にアクセサリーまで、暮らしの匂いがする屋台がずらりと並んでいた。

さすが東別院。名古屋中心部で最大のお寺だけあって、賑わいの密度が違う。

本堂の前には、畳3枚分ほどはありそうな白い紙が立てかけられていた。

その前で談笑していたのは、和装姿の男性と女性。

いかにも書家らしいたたずまいで、どうやらこのお二人が実演してくれるらしい。

金と桜と青で、紙の上に景色が立ち上がった

10時になった。

お堂からは、カーン、カーン、カーンと半鐘の音が響いていた。

まずは男性が筆を手に取り、紙の前に立つ。

金色の絵の具で、下書きなしに描き始めた。

筆を紙に突き刺すように入れたかと思うと、そのままグリグリとえぐるように押し付ける。どうやら龍と虎を描いているようだ。

次に手にしたのは、桃色の絵の具と布。絵の具を布につけて、ポンポンと軽く叩くようにして色を置いていく。
桜が、紙の上で一気に花を開いた。

さらに青色の絵の具と布で空をつくる。

筆先が踊っていた。女性師範の動きに見入った

ここで女性とバトンタッチ。

女性の方が手にしていた筆は、まるでソフトクリームみたいな形をしていた。

そして、その使い方が本当に印象的だった。

フェンシングの剣を持つみたいに筆を扱う。

筆で紙を刺すように墨を押し付けたかと思えば、今度は柔らかな手首の動きで、軽やかなかすれを生み出していく。

ゆっくり太い線を引いた次の瞬間には、ふわっと空気を切るみたいに筆が舞う。

こんな書き方があるのか……と、見入ってしまった。

正直に言えば、僕は最初、大きな紙を前にして「まあ普通に字を書くのかな」と思っていた。少し地味なのかもしれない、とすら思っていた。

まったく違った。

これは完全にパフォーマンスだった。

体そのものは大げさに動いているわけじゃない。

それでも筆先を見れば、確かに踊っていた。

「龍虎 咲いて誇らず 散りて潔し」

その言葉が、ただ書かれているというより、目の前で立ち上がってくる感じがした。

僕は“文字を書く手”のまま、筆を持っていた

ここで、ひとつ気づいたことがある。

僕はずっと、筆ペンを持ちながら、結局はペンで文字を書くときと同じ感覚で書いていた

手の形をなるべく崩さず、指先でコントロールして、きれいに整えようとしていた。

けれど、目の前の師範は違った。

手首を自在に動かして、筆を動かしていた。

書いているというより、描いていた。しかも、指先だけじゃなく、手首の角度も、腕の入り方も、体の使い方も筆先に集約されていく舞いのような動き

ああ、書くって、こんなにフィジカルなものなんだ。その瞬間、そう思った。

己書って、自由に己を描くもの、というイメージがある。

僕もそう思っていた。

ただ、その自由さって、発想や言葉の自由だけじゃなかったんだね。

もっと手前にある自由。心のままに手を動かすこと。自分の体は、自分で自由に使っていいということ。

東別院で見たのは、まさにそこだった。

「和の魂」が、東別院の空気に響いていた

最後は男性が墨で絵を仕上げる。

その筆づかいもまた圧巻だった。迷いのない動きで、大きな紙の中から龍と虎が飛び出してくる。

40分が過ぎた。

描き終えたお二人が、少し照れたように笑って、お辞儀をした。

そのあと、静かにこんな言葉を語った。

「日本人であることを誇りに思って、和の魂を引き継ぎたい」

本堂からは荘厳なお経の詠唱が聞こえてくる。東別院という特別な場所で、特別な時間が過ぎていった。

圧巻のパフォーマンスだった。

僕は時間を忘れて、その場に立ち尽くしていた。頭の中には「凄かった」という言葉しか残っていなかった。

いつか僕も、大きな紙に体ごと向かってみたい

上手いとか、迫力があるとか、それだけじゃない。

書は、もっと体に近いものだった。

もっと自由で、もっと生き物みたいなもの。書くことそのものが「書」であると。

僕もあんなふうに、大きな紙に向かって、体ごと使って描いてみたいと。

だからといって、街の壁に落書きを始めたりはしないよ。その点は、どうぞご安心を(笑)

2026-04-13|タグ:
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