
3月31日。
僕の尊敬する先輩が、会社を去った。
……なんて、静かに始めたくない。
だって、その引き際があまりにも壮絶すぎたから。
「どうなっとるだぁ!おかしいがや!!」
会社の幹部に、怒鳴り声が浴びせられた。
火花が散るみたいな声だった。まるで麻雀卓をひっくり返す勢いで、先輩は叫んだ。
理由は、人事。
本人の意向に反する異動が出ると知って、ブチ切れた。
数日にわたる大げんかの末──人事は撤回。
そのあと、定年まで2年を残して、先輩は会社を去る決断をした。
名古屋弁で冗談をかまし、みんなを笑わせて、麻雀の例え話で全員の思考をかき乱す。
まさに、“職場の雀士”。
いや、“陽の帝王”だった。
先輩のまわりには、いつも人がいた。
冗談が聞きたくて、おしゃべりしたくて、なんだかやわらかな空気に触れたくて、人がポンポン吸い寄せられていた。
あの人の言葉のリズム、ユーモアの角度、全部クセになってた。
豪快な人だった。
僕がまだ駆け出しの頃、日本全国を一緒に仕事で回っていた。
ある日、他社の人が僕をバカにしたことがあった。
未熟だった僕は何も言い返せなくて、「まあ……しょうがないか」って自分に言い聞かせてた。
そしたら、すぐだった。
先輩がその人の胸ぐらをつかんだ。
「おい!ふざけんじゃねぇ!!」
声の迫力に、その場の空気が止まった。
マジでかっこよかった。
あの日、僕を守ってくれたこと、絶対に一生忘れない。
そんな、先輩の仕事中のPC画面をのぞき込むと、いつだって麻雀ゲームが表示されていた。
机にひじをついて、麻雀牌をながめてる姿は、ほとんど“遊び人”。
そのままバカ話に盛り上がったり、たまに仕事の話をしたり。
だけど、指摘はいつも的確で、後輩がミスらないように前もって声をかけてくれる。それがまた、さりげないんだ。
だから余計に、こう思ってた。
「この人、一体いつ仕事してんだ……?」
でも、ある時ふと気づいた。
画面の麻雀牌、ずっと動いてない。
僕は冗談まじりに聞いてみた。
「長考してますね〜」
そしたら先輩がニヤッとして言った。
「俺が麻雀しとったら、話しかけやすいがや」
……完敗だった。
ただ麻雀ゲームを開いたまま放置して、「ヒマそうな空気」を出してただけ……?
完全にやられた。
先輩は、「誰かが話しかけやすくなる空気」を、麻雀ゲームで演出していた。
なんという、恐ろしいプロフェッショナル。
煙たくないやさしさって、こういうことなんだと思った。
そして、そのままタバコ片手に言う。
「ちょっと、吸ってくらぁ」
ノートPCを持って喫煙室に行き、10分で仕事を終わらせてくる。
超速。しかもミスなし。
え、いつ仕事してたの?ってレベル。
まさに化け物。
だけど、人間味の塊だった。
別れの時。
先輩が僕の肩をポンと叩いた。
「おまえと一番、長く仕事しとったな」
そのとき、先輩の目が少しうるんでいた。
僕も、こらえきれず涙が出た。
握手をして、先輩は去っていった。
会社の窓から、桜が咲き始めているのが見えた。
僕が、ここから桜を見るのはあと8回──たったの8回。
4月1日になれば、若者が職場に配属されてくる。
僕が若者に何を残せるか──
もう答えは出てる。
若者が8年後、「あの人みたいになりたい」って僕のことを思ってくれたら、それでいい。
僕も、あの人みたいな“ふざけた化け物”になってやる。
真顔でバカ話して、麻雀画面で場を和ませて、誰かの背中をさりげなく支えられる、そんなヤツに。










