見えないものにこそ、真実は宿っていた。
毎月第2、第3金曜日は己書の日。僕は、幸座(講座)が開かれる「喫茶はじまり」へと向かった。
字が、勝手に膨張していく問題

書いても書いても、どんなに気をつけても字が大きくなっていく。
気は小さいくせに字だけは一丁前に………。ハガキからはみ出す字を見て先生も、もうお手上げって顔して苦笑い。
「世界は大きいんだ!ハガキが小さすぎる!」なんてしょうもない言い訳をしても始まらない。己書はハガキの中に世界を表現するものだからね。
意に反して字が大きくなってしまうのは、僕の中に何か間違った感覚があるからに違いない。
「じゃぁ、小さく書けばいいじゃん」そう思うでしょ?
でもね、問題はそこじゃない。
イメージした通りに書く。これが一番大事なことだと思う。
リベンジ開始。文字のお題をもう一度
選んだのは、こないだと同じ師範の方が書いた文字のお題。まさしくリベンジの舞台となった。
まずは、一枚書いてみる。
あららら。やっぱり前と同じ。膨張していく文字。ハガキの中はビッグバン宇宙と化していた。
「字すら思い通りに書けない、どうしようもないボンクラだな………」
筆を置いて遠くを眺めていた。冷めたコーヒーをグビリ。……一体、どうすればいいのか?
先生のアドバイスは、神のお告げ
その時だった。
神の声が聞こえてきた。いや、先生の声。でも、その声は僕にとって神のお告げのように感じられた。
「余白が大切なんだよ。まずは余白を決めてから書くといいよ」
脳天から背筋にビリビリっと何かが流れた。
そうか、そうだったのか。
僕は線を書くことだけに集中していたんだ。己書で本当に見せたいのは、余白。字を書くのは、余白を見せるためのものだったんだ。
余白を先に“決める”って発想

僕は筆を取った。
ハガキと向かい合う。余白を浮き上がらせるためにはどうすれば?
「上下はこのエリアを余白にして、左右はここまで」
思い切って、真ん中の小さなエリアを残して鉛筆で線を引いてみた。
まずは、見せたい余白を決めてから字を書く。線をどう書くかよりも、余白をどう見せるかを第一に考えてみた。
あれ?全然違う。
うわ、入った。枠の中に、入った。暴れん坊だった僕の字は、狙った余白の合間にキレイに収まっていた。
何かが見えた。
正反対の視点
見るべきは、黒じゃなく白。正反対だったんだ。
まるで、写真家が撮る対象ではなくその周りの光を見るように、サッカー選手がボールではなく誰もいないスペースを見るように。
つかんだコツを離してはいけない。
余白の感覚をつかむため、練習用にいただいたコピー紙が真っ黒になるまで線を書いていた。
僕の周りだけ時が止まった。気がつけば1時間半みっちりと。
そして、もう一度ハガキと向かい合う。
余白を書く。

「こっちを密にして、このスキマを強調したいな」
180度、視点は変わっていた。ハガキの枠にピシッと収まる字。あいかわらず線はヒョロかったり、字そのものが下手くそなのは変わらない。
でもね、今までの僕に足りなかったものがそこにあった。
余白の美しさ。

階段を一つ登ったような
先生からは「あら、覚醒したね〜」ってお褒めの言葉も。
己書の階段を一つ登った気がする。
まだまだ他の受講生に比べるとレベルは下の下。だけど、人様に見てもらえる字に少しだけ近づいた気がするんだ。
もっとたくさん書いて練習しなきゃ。
幸座の帰り、僕は新しい筆ペンを手にしていた。

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