■ ちょっと、驚かせてみたくて
たまには、父と兄を驚かせたい。
あの酒好きの2人が心の底から「うまいなあ」って笑う瞬間を、どうしても見てみたかったんだ。

それで選んだのが、「醸し人九平次」。
いわゆる“最高級の大吟醸”ってやつだ。いや、ほんとにすごいんだよ、この酒。
黒く光る化粧箱に、金色で「九」の文字がズシンと入ってる。
その下にも、もう一つ「九」。今度は切り抜かれてて、瓶のラベルがそこからのぞいてる。

……どんだけ「九」押しなんだよって思いながら、ニヤけてた。
でも、なんかこう、「こだわりを箱ごと飲んでくれ」って言われてる気がして、ちょっとうれしくなった。
■ フルーツの香りと、父のひと言

電車に揺られて、兄の家へ。
玄関を開けると、父、母、兄、甥っ子が顔をそろえてた。
あいさつもそこそこに、さっそく「九平次」開封の儀。

瓶を開けた瞬間だった。
「……なんか、フルーツみたいな匂いする!」
隣にいた甥っ子が、鼻をクンクンしながら言った。

そう、これが大吟醸の世界だよ。
南国の果実みたいな甘い香り。桃とか、ライチとか、マンゴーとか。
“ジュースかよ!”って突っ込みたくなるくらい、華やかで上品な香りが広がる。
グラスに注ぐと、すっきりとした無色透明。
ひと口、ぐびっと。

……うわ、なにこれ。
わずかに舌先でシュワっと踊る炭酸の爽やかさ。
豊かで、甘くて、どこまでもやさしくて。
一瞬、自分が果樹園で食べ放題してるんじゃないかって思った。
でも、そのあとがすごい。
甘さに酔う前に、スパッと切れる爽快な後味。
「旨味ってこういうことか」と、思わず口からこぼれた。

でも、僕の父はというと。
「……うーん、まあ、こういうのもあるな」
とだけ言って、それっきり2杯目に手を出さなかった。
辛口原理主義の父にとっては、ジュースだったらしい(笑)
いやいや、贅沢すぎるやろ!
■ 40年ぶりの散歩道
日も暮れ始めて、ふと兄が「ちょっと歩こうか」と声をかけてくれた。
近所の田舎道。ゆっくり、2人で歩き出す。
兄と2人で並んで歩くなんて……何年ぶりだ?
いや、もしかしたら、40年ぶりかもしれない。
■ 僕の話し方は、いつから変わったんだろう
「しかし、お前、しゃべり方変わったな」
兄が言った。
「昔はもっと、やわらかかったぞ。いま、会社で部下をねじ伏せてそうじゃん」
「いや〜それ、図星すぎて痛いわ……」
そんなふうに話しながら、僕はふと気づいたんだ。
今の僕の話し方って、どこか戦闘モードなんだよね。
職場で鍛えた、論理で押し通すスタイル。相手を納得させる強い押し出しと言葉の選び方。
長年染みついていたそれを、いつの間にか“自分らしさ”だと思い込んでた。
でも兄の前だと、それがまったく意味を持たない。
強がる必要がないんだ。
子供のころの僕は、ただ無邪気に、兄に向かって思ったことをそのまま言ってただけ。
尊敬して、憧れて、勝てるなんて一度も思ったことなかった。
ただ、兄と一緒にいて馬鹿話がしたかっただけ。
■ しょうもない、でもかけがえのない時間

「まあ、俺たちもしょうもない人間になったな」
兄が苦笑いしながらそう言った。
「でも、けっこう楽しいな、しょうもないのも」
「ほんと、それな」
2人で、笑った。
なんでもない会話なのに、なんだかちょっと泣いていた。
■ 振り返った先にあった光
40年前、兄と一緒に山を駆け回ってたあの日のことを思い出した。
ドロドロになって、ケンカして、でもすぐ仲直りして。
夕焼けがまぶしかった。
僕はずっと前しか見ずに走ってきた気がする。
けど、今日みたいにちょっとだけ振り返ってみると――
その道のりにも、思い出にも、ちゃんと光があった。
■ もし、あなたにも
歩く兄の背中を見ながら、思った。
もしかしたら、こうして2人で歩くことなんて、人生でこれが最後かもしれない。
いや、別に縁起でもないこと言いたいんじゃないけど、だからこそ、大切にしようと思えたんだ。
もし、あなたにも「ずっと会ってない大切な誰か」がいるなら。
ちょっとだけお酒を持って、顔を見に行くのもいいかもしれない。
甘くて、しみじみと沁みる時間が、そこに待ってるかもしれないから。










