もっと、もっと、もっと上達しなきゃ。「五級」昇級直後に始まった己書の新章

2026-03-20

もっと上達しなきゃ。いや、「もっと」じゃ足りない。「もっと、もっと、もっと」だ。

毎月第2、第3金曜日は己書の日。……なのだが、この日は木曜日の開催だった。

自主トレの成果だろうか。最近、なんだかうまく書けている気がする。そんな自信みたいなものが、少しずつ自分の中に育ってきていた。

オゾンアベニュー会館の2階へと続く階段を軽快に駆け上がる。

今日はどんなお題が待っているんだろう。そんなワクワクを胸に、幸座(講座)へと向かった。

今回のお題は、踏まれる鬼

今回のお題は、前回先生が予告してくれた、法隆寺の台座に踏んづけられる鬼。

きっと先生は、僕の中にドMの魂があることに気づいたのであろう(笑)

お題を手に取った瞬間、「うわ、これ好きだわ」と思った。

目がギラッとしていて、顔はいかつい。なのに二頭身で、どこかユーモラスでもある。怒っているようにも見えるし、笑っているようにも見える。その表情の豊かさがたまらない。

お題は4枚。それぞれ、まったく違う鬼が描かれていた。

可愛らしさと迫力が同居していて、見ているだけでも面白い。己書って文字だけじゃないんだな。絵でもちゃんと世界観を出せるんだな。そんなことを思った。

さっそく、シャーペンで下書きに取りかかる。

簡単そうに見えるものほど難しい

先生のアドバイスはこうだった。

「ざっくりに見えるけど、バランスが大切なんですよ」

なるほどねぇ。

こういうのって、ラフに見えるぶん簡単そうに思える。ところが、そんなことはない。

デフォルメされた絵って、ただ形をなぞればいいわけじゃない。勢いだったり、熱量だったり、描いた人の気持ちにならないと絵に魂がこもらない。

しかも今回は文字ではなく、絵で己書をやる。つまり、線そのもので己書らしさを出さないといけないということだ。

下書きは、わりとあっという間に描けた。

問題はここから。

己書らしさを、どう出すか。

1枚目は、完全にびびっていた

まず1枚目。

薄墨の筆ペンで、下書きをなぞるように描いていく。丁寧に。慎重に。失敗しないように。たぶん、その気持ちが強すぎたんだろうね。

一定の速さで、一定の太さの線が続いていく。

描き終えて見てみると、なんとも言えない仕上がりだった。

のっぺりしている。

薄墨がただ灰色に乗っているだけ。グレーの塗り絵みたいだった。いや、もっと言えば、PCで描いたような単調な灰色の線が並んでいるだけ。これじゃ、筆ペンを持つ意味がない。

あぁ、これじゃダメだ。

鬼なのに迫力がない。味もない。線が生きていない。

このときの僕は、びびっていたんだと思う。失敗したくない。きれいにまとめたい。その気持ちが、そのまま線に出ていた。

己書って、そういうのをごまかせないんだよね。

※写真左が1枚目、右が2枚目

2枚目で、鬼が起き上がった

そこで2枚目。

今度は、「慎重」をやめた。まるっと「大胆」に入れ替えてみた。

太い線がほしいところは、思いきり筆ペンを押しつける。カスれがほしいところは、シュッと引く。一筆ごとに、どんな線を出したいのかをイメージしながら描いていく。

すると、きた。

大胆に押しつけた筆ペンを、シュッと引いた瞬間。顔の輪郭がちょうどよくカスれて、鬼の顔に立体感が出た。

あ、この線だ。

そう思った。

1枚目の鬼は、ただ紙の上に寝ていただけだった。2枚目の鬼は、ムクッと起き上がってきた。そんな感じがした。

線に空気が入った。陰影が出た。鬼の気配が出てきた。

うれしかったねぇ。

こういう瞬間があるから、楽しいんだよね。

その感覚を意識しながら、3枚目、4枚目も描き終えた。

五級いただきました!

そんなふうに己書の世界を楽しんでいたとき、先生が一枚の証書を僕にくれた。

「五級」

おぉ、きた。

もちろん、回数を重ねれば級が上がっていくことは分かっている。

それでも、うれしい。

自分が認められたような気がしたんだよね。

ひと月前に六級をいただいて、今回は五級。まだ階段を二段上っただけ。上がどこまで続いているのかなんて、まるで見えない。

それでも、ちゃんと前に進んでいる感じがする。それがうれしかった。

また一つ、レベルアップしたかな。そんなふうにニンマリしていた、そのときだった。

いきなり飛んできた「師範」

「師範とか興味あります?」

えっ?

一瞬、心臓がドクンとした。

先生が、僕の目をまっすぐ見ていた。いつもは冗談を言って笑っている先生が、その瞬間だけは真剣な目になっていたんだ。

今、五級になったばかりだよ?

師範なんて、1ミリも考えたことがなかった。

話を聞くと、幸座に20回通うと師範の試験を受けられるらしい。しかも、ものすごく厳しい関門というわけでもないらしい。

空手の師範は、岩みたいだった

とはいえ、「師範」という言葉は、僕の中ではとてつもなく重い。

僕は小学生から高校卒業まで空手を習っていた。

その頃の師範といえば、雲の上の存在だった。背格好は僕とほとんど同じなのに、全力で突きや蹴りを出しても、岩みたいにびくともしない。

こっちは必死。向こうは平然。

「人って、ここまで違うのか」と思わされる存在だった。

それが、師範だった。

だからこそ、まさか自分の人生に「師範」なんて道が現れるとは思ってもみなかった。

ただ楽しいだけでは、終わらない

でも、その言葉を聞いたとき、ただ驚いただけじゃなかった。

覚悟を試されている気がしたんだよね。

「もっと頑張ってみる?」
「あなたなら、できるんじゃない?」

先生は、そんなふうに言っているように感じた。

だったら、答えは決まっている。

「喜んで」

ここで断ったら、たぶん後で後悔する。

自分の楽しみだけでやっていた己書。その時間は、この瞬間を境に変わった。

ただ楽しく書いていればいい、では終わらない。

もっと見栄えよくするにはどうすればいいのか。うまく書けなかったら、自主トレもしないといけないだろう。自分らしさって何なのかも追いかけないと「法隆寺の鬼」に達することはできない。

もっと上達しなきゃ。

いや、やっぱり違うな。

もっと、もっと、もっと上達したい。

新章が始まった。

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