
もっと上達しなきゃ。いや、「もっと」じゃ足りない。「もっと、もっと、もっと」だ。
毎月第2、第3金曜日は己書の日。……なのだが、この日は木曜日の開催だった。
自主トレの成果だろうか。最近、なんだかうまく書けている気がする。そんな自信みたいなものが、少しずつ自分の中に育ってきていた。
オゾンアベニュー会館の2階へと続く階段を軽快に駆け上がる。
今日はどんなお題が待っているんだろう。そんなワクワクを胸に、幸座(講座)へと向かった。
今回のお題は、踏まれる鬼
今回のお題は、前回先生が予告してくれた、法隆寺の台座に踏んづけられる鬼。
きっと先生は、僕の中にドMの魂があることに気づいたのであろう(笑)
お題を手に取った瞬間、「うわ、これ好きだわ」と思った。
目がギラッとしていて、顔はいかつい。なのに二頭身で、どこかユーモラスでもある。怒っているようにも見えるし、笑っているようにも見える。その表情の豊かさがたまらない。
お題は4枚。それぞれ、まったく違う鬼が描かれていた。
可愛らしさと迫力が同居していて、見ているだけでも面白い。己書って文字だけじゃないんだな。絵でもちゃんと世界観を出せるんだな。そんなことを思った。
さっそく、シャーペンで下書きに取りかかる。
簡単そうに見えるものほど難しい

先生のアドバイスはこうだった。
「ざっくりに見えるけど、バランスが大切なんですよ」
なるほどねぇ。
こういうのって、ラフに見えるぶん簡単そうに思える。ところが、そんなことはない。
デフォルメされた絵って、ただ形をなぞればいいわけじゃない。勢いだったり、熱量だったり、描いた人の気持ちにならないと絵に魂がこもらない。
しかも今回は文字ではなく、絵で己書をやる。つまり、線そのもので己書らしさを出さないといけないということだ。
下書きは、わりとあっという間に描けた。
問題はここから。
己書らしさを、どう出すか。
1枚目は、完全にびびっていた
まず1枚目。
薄墨の筆ペンで、下書きをなぞるように描いていく。丁寧に。慎重に。失敗しないように。たぶん、その気持ちが強すぎたんだろうね。
一定の速さで、一定の太さの線が続いていく。
描き終えて見てみると、なんとも言えない仕上がりだった。
のっぺりしている。
薄墨がただ灰色に乗っているだけ。グレーの塗り絵みたいだった。いや、もっと言えば、PCで描いたような単調な灰色の線が並んでいるだけ。これじゃ、筆ペンを持つ意味がない。
あぁ、これじゃダメだ。
鬼なのに迫力がない。味もない。線が生きていない。
このときの僕は、びびっていたんだと思う。失敗したくない。きれいにまとめたい。その気持ちが、そのまま線に出ていた。
己書って、そういうのをごまかせないんだよね。

※写真左が1枚目、右が2枚目
2枚目で、鬼が起き上がった
そこで2枚目。
今度は、「慎重」をやめた。まるっと「大胆」に入れ替えてみた。
太い線がほしいところは、思いきり筆ペンを押しつける。カスれがほしいところは、シュッと引く。一筆ごとに、どんな線を出したいのかをイメージしながら描いていく。
すると、きた。
大胆に押しつけた筆ペンを、シュッと引いた瞬間。顔の輪郭がちょうどよくカスれて、鬼の顔に立体感が出た。
あ、この線だ。
そう思った。
1枚目の鬼は、ただ紙の上に寝ていただけだった。2枚目の鬼は、ムクッと起き上がってきた。そんな感じがした。
線に空気が入った。陰影が出た。鬼の気配が出てきた。
うれしかったねぇ。
こういう瞬間があるから、楽しいんだよね。
その感覚を意識しながら、3枚目、4枚目も描き終えた。
五級いただきました!

そんなふうに己書の世界を楽しんでいたとき、先生が一枚の証書を僕にくれた。
「五級」
おぉ、きた。
もちろん、回数を重ねれば級が上がっていくことは分かっている。
それでも、うれしい。
自分が認められたような気がしたんだよね。
ひと月前に六級をいただいて、今回は五級。まだ階段を二段上っただけ。上がどこまで続いているのかなんて、まるで見えない。
それでも、ちゃんと前に進んでいる感じがする。それがうれしかった。
また一つ、レベルアップしたかな。そんなふうにニンマリしていた、そのときだった。
いきなり飛んできた「師範」
「師範とか興味あります?」
えっ?
一瞬、心臓がドクンとした。
先生が、僕の目をまっすぐ見ていた。いつもは冗談を言って笑っている先生が、その瞬間だけは真剣な目になっていたんだ。
今、五級になったばかりだよ?
師範なんて、1ミリも考えたことがなかった。
話を聞くと、幸座に20回通うと師範の試験を受けられるらしい。しかも、ものすごく厳しい関門というわけでもないらしい。
空手の師範は、岩みたいだった

とはいえ、「師範」という言葉は、僕の中ではとてつもなく重い。
僕は小学生から高校卒業まで空手を習っていた。
その頃の師範といえば、雲の上の存在だった。背格好は僕とほとんど同じなのに、全力で突きや蹴りを出しても、岩みたいにびくともしない。
こっちは必死。向こうは平然。
「人って、ここまで違うのか」と思わされる存在だった。
それが、師範だった。
だからこそ、まさか自分の人生に「師範」なんて道が現れるとは思ってもみなかった。
ただ楽しいだけでは、終わらない
でも、その言葉を聞いたとき、ただ驚いただけじゃなかった。
覚悟を試されている気がしたんだよね。
「もっと頑張ってみる?」
「あなたなら、できるんじゃない?」
先生は、そんなふうに言っているように感じた。
だったら、答えは決まっている。
「喜んで」
ここで断ったら、たぶん後で後悔する。
自分の楽しみだけでやっていた己書。その時間は、この瞬間を境に変わった。
ただ楽しく書いていればいい、では終わらない。
もっと見栄えよくするにはどうすればいいのか。うまく書けなかったら、自主トレもしないといけないだろう。自分らしさって何なのかも追いかけないと「法隆寺の鬼」に達することはできない。
もっと上達しなきゃ。
いや、やっぱり違うな。
もっと、もっと、もっと上達したい。
新章が始まった。





